菅原道真の怨霊
学問の神様として知られる、菅原道真。
菅原道真が祀られている京都の北野天満宮は道真の業績を称えるためだけではなく、彼の怨霊を鎮めるためだとか・・・?学者の家計に生まれた道真は若い頃から優秀で、弱冠26歳で国家試験の最高峰である方略式(ほうりゃくしき)に合格した。(230年の間に65名しか合格者がいないという超難関)優秀につき、出世街道まっしぐら。当然、反感も買うことになる。特に左大臣藤原時平を中心とする藤原氏たちのねたみを買うことに・・・。
901年、道真はその時平の策略により大宰府に左遷され、二年後には都を呪いながら最後を遂げた。その後、道真の怨霊はかってないほど恐ろしい災いを撒き散らすこととなった。まず、京都の地に干ばつや疫病が大流行し、彗星が現れた。そして、もっとも強烈と言えるのが、会議中の清涼殿への落雷の直撃だろう。
大納言藤原清貴は即死、右中弁平希世は顔を焼き、公卿数名が胸を裂かれたり腹を砕かれるなど悲惨な死に方をしている。さらに道真失脚に加担した菅原菅根が病死。翌年29歳と言う若さで時平が死亡。その後も時平の縁者や道真を陥れた者等が次々と不幸な死を遂げていった。一連のショックで醍醐天皇は発病し、皇位を譲って七日後に死亡してしまう。
|